12月龍樹会まとめ・心の平穏

龍樹会

先月の龍樹会の様子などを書き綴っていきます。

12月は見学者の方も来院され、その日は少林寺拳法や太極拳の話から始まりました。太極拳と聞くと、ゆったりした動きをイメージしてしまいがちですが、元来は俊敏に動くものだそうです。もちろん流派によっても違うのでしょうが、ここだけでしか聞けない秘話のようなものもたくさんあり、目からウロコだらけでした。

太極拳の動きも、捻りを意識するのではなく胸郭の横側を動かす意識が結果的にひねりの動作に繋がる、とのことでした。私は最初手を両方の肋骨に当てて捻る動きがうまく出来ずに、単におっぱいをガードしているだけの滑稽な動作になってしまいましたが、後半はコツを掴んで動けるようになりました。


龍樹会で院長の話をずっと聞いていると、たまに頭が爆発しそうな感覚or非常に眠くなることがあるのですが、それは脳波と何かしら関係があるのではないでしょうか。脳波計測器を付けてみたいのですが、購入するのには高額すぎますね。

実は私が恩師のセミナーに参加している時も「頑張って多くのことを学ぼう!」と意気込んでいても、意識が飛んで睡魔に襲われることがほとんどでした。

「睡眠学習だね。それでいいんです、潜在意識には伝わっているから」と冗談交じりによく言われましたが、意識世界においては正にその通りです。

人は深い瞑想、或いはそれに近い状態により調和・平穏(サンスクリット語ではシャンティと表現します)を得ると、睡魔に襲われたような感覚になる場合があります。

この調和・平穏の心を、一体どれだけの人々が持っているのでしょうか?…と、私は常々思います。

社会的権力・地位・名誉・名声・富…etc. 現代日本において尊敬されたり崇められるのは、こういう類いの人が大半でしょう。しかしこれまで多くの人と接する中で、決して富=調和・平穏ではないということに気が付きました。物質的に裕福であると、一見調和もとれているようにも思えますが、実はそうではないのです。

むしろ、物質的豊かさが弊害を生み、病になる場合もあります。聖者が無一文で、布切れ1枚で放浪する理由がなぜか?というのがよく分かりますね。

もちろん物質的豊かさと平穏の度合いは人それぞれですが、やはり何事もバランスが大切です。物質的豊かさは、働いてお金を稼ぎ、手に入れたい物を購入すれば満たされます。

しかし精神的豊かさは、望んでもそう簡単に手に入るものではありません。物質を得て精神的に満足することもありますが、一時の満足感であって終わりのない欲求が沸いてくるケースも多いです。物質に執着すればする程、満足→不満→物質的欲求を繰り返すのです。

例えば、「〇〇さえあれば、私は幸福になれる!」「△△を買えば、一生幸せだ」という人がいたとしましょう。各々が望むものを購入し、そのあとしばらくの間は満たされた気持ちでいっぱいになりますが、時が立てばその満足感は消え去り、また他のものを欲するようになります。

そして精神的豊かさに対して人々が如何に無知であり、無頓着かということを嘆きたくなるような出来事もあり、恐ろしい世の中だと思うことさえあります。

私はなにも富を築くことが悪いと言っているのではなく、現代人は肩書きや人の持つ所有物や実績でしか相手を信用することができなくなっているのに気が付かないことが、危険な状態だと感じています。つまり、相手をしっかりと見つめることができないのです。

信用に関しては、真の信用とは何か?というのは東洋哲理を学べば分かることですし、ここ最近放送されていた韓国ドラマ・商道(サンド)にも「商道とは、人を稼ぐことであり、人を残すことである」という名言があり、納得のいく非常に面白い作品でした。

ビジネスの世界では実績=信用でもありますが、それが100%そうなのかといえば違います。実績があり、信用できる!という相手と契約を結んで痛い目にあった、という事例も多々あります。とにかく、心眼で見ることが大切です。


そして話は変わりますが瞑想において先月あることに気付き、院長に聞いてみたところ全く同じことを思っていたようで、なるほどと思いました。この方法を実践すれば、現実界において1日に何度も瞑想をしたり、忙しい日常にわざわざ時間を割く必要性がないのです。

しかし、それは決して現実を疎かにして良いという訳ではなく、現実での意識・行動が伴ってこそ成立します。その重要な鍵となるのが睡眠時に見る夢なのですが、これについてはまたの機会に。

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