11/11(土)龍樹会 心、斬撃と水月

龍樹会

ふと頭に直感的に浮かんだタイトルですが、一歩間違えばまるで中二病です。でも今日は盛り沢山書いていくので、超長文記事になります。


この日は最新の脳科学の話から始まりました。TVやネットニュースでいかにも真新しいことのように発表されている研究でも、実は数十年前から当たり前のように実践されている事柄も多くあるそうです。

我々人間は、ウイルス・細菌と共存しているという意識を普段から持ちながら生活をしている訳ではありませんが、あらゆる病の影にはそういった小さな微生物の存在があるというのを忘れてはいけませんね。ストレス・うつ病や情動の話も、なるほどと思いました。しかし、病気でも他の事でもそうですが、〈敵と戦う〉のではなく〈自分と向き合う〉という表現の方が正しい、というのには妙に納得してしまいました。

なぜなら、有名なある鍼灸師の先生が「病気にありがとうと言いましょう!」と提唱しており、他にも同じことを言っている先生は多くいらっしゃるからです。

現実に闘病中の患者さんにそんなことを言うと、「そんな風に思える訳ないだろ!!」と憤慨されても無理もないのですが、実はこの言葉には〈病からの気づき〉に対する感謝を述べる意味合いが込められています。

実際に私の周囲には、大病を患いながらも、病気は私自身へのメッセージであり、多くの気づきや内省の機会を与えてくれたので結果的に感謝している、と語っている方々がいらっしゃいました。勿論、ご本人だけではなく家族や周りへ対するメッセージである場合もあります。

しかし誰もが病を肯定的に受け入れられる訳ではなく、マイナス要素として受け取って生きていくケースが比較的多いです。私自身、命に関わるものではありませんが、10代で子宮内膜症になり当時は凄く不安で自分や親を責める気持ちが非常に強かったです。それでも改善の方向を目指そうと自分なりに努力した結果、健康へ対する意識が変わり、波動や鑑定、鍼灸分野を志すきっかけの一つにもなりました。

実はまわりの鍼灸師に話を聞いてみると、自分自身病気がちだったとか、身体が悪くて鍼灸で改善した経験があったために鍼灸師の資格を取った、という人が案外多いものです。


話は脳科学に戻りますが、嫌いな人に対して無意識に嫌悪感を抱いてしまうのは、情動に関与している扁桃体に原因があるとのことです。私は10年前に恩師のセミナーで一番最初に扁桃体=情動記憶だと教わったので、やっぱり扁桃体は重要なんだな、と改めて思いました。

その話を聞いて自己分析をしてみたのですが、いま私にはものすごく嫌いな人、というのはいません。

人に対してだけではなく、物事に対する強いこだわりや凄く嫌だ!という事柄が、以前ほどないのです。これは物事に無関心になったというわけではなく、あらゆるメソッドを実践した結果、扁桃体の状態が変化したからとも言えるのではないでしょうか。

私は若いころは常にイライラしていてすぐ激昂するし、我の強さの塊みたいな人間でした。営業事務員の仕事では店舗責任者ということもあり、もちろん立場上の責任感や職場環境を良くしたいという強い思いから、相手が店長だろうが社長だろうが、「これは違う」と思った事はすぐに報告に行き、怒り心頭で訴えかけていました。

「会社を少しでも良くしたい」という思いで行動していたので、そこに上下関係や遠慮は関係ないと思っていましたし、無論デリカシーのない発言をする上司にはブチギレまくりでした。どちらかというと感情的というよりも、何事も白か黒かハッキリさせなきゃ気が済まない、何がなんでも仕事を円滑に進ませたい、仕事をすぐサボるおじさん達が許せない、といったタイプでした。

私は周囲からは大雑把な人間だと思われがちですが、おそらく仕事においてはある部分で完璧主義な面があったので、そういった思考になったのだと思います。

ちなみに完璧主義の人は、ちょっとした事につまづいてしまったりスムーズに物事が遂行されないと相当なストレスがかかり、一気に崩れ落ちていく傾向があるので要注意です。

今では環境もガラっと変わって、なにより自らの思うことで生きているので、以前よりストレスフリーであるという部分は大きいです。しかし、なにより考え方が大きく変わったのは間違いないですし、人に対してやたら執着したり、裁きを与えるのは違うな、と思います。もちろんこれは仕事だけではなく、プライベートや恋愛においても同等の事が言えます。

〈人への思い方〉や〈人への接し方〉を変えることで、ずいぶんと楽になったと思います。人生がうまくいくがどうかは、そのほとんどが人間関係で決まりますし、なにより何もかもを他責にするのではなく自分自身ときちんと向き合ったことで、自然とすべてが好転していきました。


話はだいぶ逸れましたが、現代日本では有名企業だけではなく病院などの医療機関でもマインドフルネスが導入されているようです。私が聞いた噂によると、朝活を推進する団体ではzoomによる瞑想の会が某地域で流行っているんだとか。

瞑想に関しては院長がこれまで何度も何度も話していますが、目を閉じて座禅を組み、じーっと黙っている状態だけを瞑想と呼ぶのではありません。ゆっくりと歩く瞑想や、半眼で行うものもあります。どんな状況下でも、瞑想状態の意識に移行できるのが重要だそうです。もちろん、そこに至るまでに段階を踏む必要性もあるかもしれませんが。


ゼロ波動、いわゆる愛の波動。キリスト教の十字架は、なぜ十字型なのか?縦と横の動きが合わさって初めて人間になる、という話と身体動作とがリンクする部分が興味深かったですね。

後半は、〈刀を持った人が襲い掛かってきた場合、どう対処するか〉というのを実践しました。

木刀や鋭利なものはさすがに危ないので、治療ベッドのペーパーシーツの残り芯を使いました。

通常であれば、襲われた時に立ち向かおうとする人もいるでしょうが、そうすると相手に戦闘意思の波動が瞬時に伝わってしまい、攻撃しても互いに拮抗状態が続いてしまいます。

これは秘伝の書にもある〈水月〉を表していて、自己は相手の投影です。心は水面に映る満月の如く、揺れ動く。つまり、自分の心が揺れれば相手の心も波に揺れ動くのです。風流で良い表現ですよね。

相手に斬られてしまう前に、まずは移動・回避が優先です。それから、相手に斬られない位置取りをするのです。これが案外難しくて、コツを掴んでしまえば自然とできてしまうのかもしれませんが、私の場合は苦戦しながらも、なんとなく意味合いがつかめたような気がしました。

次回は、11月18日(土)13:30~16:00開催です。

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