1/28()龍樹会 真の想念

龍樹会

 本日はたくさんの差し入れをいただき、お茶会をしながら賑やかなスタートとなりました。

院長の祖母が京都市に住んでいたということもあり京都事情について詳しいため、色々話されていましたが妙に頷いてしまうような話ばかりでした。

仏像には様々な種類がありますが、昔の京都の人はいちいち何の仏像かというのを調べる事もなく、どんな意味が含まれているのかを直感的に分かっていたそうです。

そして仏前ではただ手を合わせていたのではなく、そのエネルギーに共鳴し、仏像から出る波動を感じていたのです。

神社にしても、昔は現代のように「映える写真」を求めてスマホでバシャバシャ撮影しまくったり、お賽銭を投げ入れて自分の願いをつらつらと唱えるような場所ではありませんでした。感謝し、波動を感じる場という認識が、現代では薄れているためでしょう。

波動の話の中で、私の好きなミケランジェロのダビデ像についても話題にあがりましたが、本人の技術が高いことはもちろんですが、それ以上の大きなエネルギーが降りてきて創作されたものだそうです。その作品が放つ波動が、非常に高いものとなっているのです。

つまり製作者が大きな力を意識することで、本人の力量以上の能力が発揮され、結果的に素晴らしい芸術品が生み出されたという訳です。これは他の美の巨匠や、その他の天才と呼ばれる人々にも共通して言えることです。

その波動の高い作品の写真や絵を部屋に飾っておくだけでも、部屋の波動が全く違うんだとか。

じゃあ鍼灸院にダビデ像のポスターを貼りまくったらどうなるんだろうか!?とも思いましたが、極めて異質な空間になりそうです。

ダビデ像

あと印象に残っていたのが、それぞれの「個の意識」があまりにも強くなり過ぎている時代だ、という内容です。何事も、マクロな視点で捉えることができなくなっているのです。もっと大きな流れやエネルギー的なものを感じることが、必要なのでしょう。

自らの思うことや信念を持って生きるのは大切なことですが、それが〈内なる心から沸き起こる真の想念〉ではない場合も案外多いのです。現実逃避のために自らの心に嘘をつくような形に、自然となっていることもあるというのです。

院長の話の後は、前回の手・腕の手技の復習からでした。

現代人は合掌をする機会も減っており、それは謂わば「手を揃える」という意識すら日常にはなく、行為そのものがきちんとできなくなってきているとのことです。手足に意識がなければ、当然正しく使うこともでません。これもなるほど、と思う内容でした。

如何に意識を持ち、エネルギーを自分自身は運んでくるか。実践を積む上で、これは私も日頃から実感します。方位のエネルギー意識を、改めて再認識する必要性があると思いました。

本日は、終わりの方に相手に意識を送り、それを察知してうまくかわしていくという動きを行いました。

その中で、忍者の中でも秘伝とされている自らが風になり、ふわふわとタンポポの綿毛のように移動するという動きができている方がいて、驚きました!無理なく、軽やかに動かれていました。

次回の龍樹会は2/4(土)です。

コメント

Translate »
タイトルとURLをコピーしました