時間は存在しない?

東洋哲学

ここ最近は合宿発表での資料作成やその他の原稿提出などが終わらず、毎日〆切に追われている状況です。

細かい修正などを加えていますが、なかなか完成までには辿り着けません。

スキマ時間に少しずつ作業をしているのですが、ただでさえ忙しい月末月初がとんでもなく忙しいため体調を崩さないように鍼やお灸、ローラー鍼は毎日かかさず行っています。


私は以前自動車関係の仕事で発注作業を行っていた仕事柄のせいか、時間に間に合わなかったり予定通りに物事が遂行されないと気が済まないタイプです。

なので、時間にあまりとらわれない院長とは性質が対照的ですね。

以前書いた〈年齢を数えてはいけない〉の記事と同様に、本来は年月や時間に捉われるべきではないのです。

イタリアの理論物理学者、カルロ・ロヴェッリ著〈時間は存在しない〉は、一時期話題になった本です。

時間は単なる目安であって、人間が作り出した尺度でしかなく、宇宙には絶対的な時間が存在しないと述べています。

しかし、人間社会で生きていこうと思うと目安としての〈時間〉がないと、やはり何事も不便で仕方がありません。

精神世界や哲学でも時間について触れる部分は多々ありますが、意識の世界では時間軸は存在せず、過去・現在・未来は同じであるともいいます。

あまり色々書くと混乱を招くのでこの辺にしておきますが、この手の話はかなり面白く興味深いものです。

〜あとがき〜

時間概念が存在しないとなると、時間鍼灸学や気学などのあらゆる方術の意味合いが薄れてしまうようにも感じますよね。

ただ、仮に時間が存在しなかったとしても、1日に朝晩があるように人間の身体にも概日リズム(サーカディアンリズム)があります。

リズムに沿って我々人間の身体は動いていますから、そのリズムが乱れると心身に不調をきたすのは当然ですよね。


また、方術のように特定の日時や方角に意味合いを持たせると事象にも変化が現れますし、全く同じ事をしても別な結果を引き起こす要因にもなります。

数年前、講義で発表した際に〈非日常的体験、例えば遠方への旅行で脳が活性化する〉という事が海外で研究発表されている旨をお伝えしました。【日時や方角には何かしらの意識変容・事象顕現を促進させるものがある】という方術の基礎的な考えに対して、ありえないという方術否定派もこの研究発表には納得するのではないか、とも思いました。

方位の持つ意味合いは古来からネイティブ・アメリカンもよく理解して実践的に用いていましたが、この話はまたの機会に書きます。

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